車山前に到りて必ず路あり

ただのひとりごとです

地に足を着ける

数年前、左足首を捻挫した。

 

よくある内返しの捻挫。小さな段差を足の裏で捉え切れずにコロンと転んだ。

以来、左足首はグラグラ。

片脚立ちすると重心が定まらずフラフラする。

 

しばらく前、接骨院でそんな相談をすると先生からバンテージを勧められた。

足首をキュッと固定してトレーニングすることで、固有感覚を取り戻しバランスが取れるように促す。

半信半疑で巻いてみたらてきめん。巻いた瞬間に足首が安定し、片脚で楽に立てるようになった。

片脚系のトレーニングも、ずっと股関節に上手く乗れず思うように使えないことに悩んでいたのにバンテージであっさり安定した。

バンテージを巻くだけでしっかり地に足が着き、足裏で地面を捉え、押せて、股関節までまっすぐ立てる。まっすぐ立つためにサボっていた筋肉が適切な場所でちゃんと働き、骨盤がスウェイして姿勢が歪まない。

その状態でトレーニングできるので、他の部位で代償せずにターゲットにきちんと効かせられるうえ、出したい場所にパワーが出せる。

バンテージ様々。体力は落ちているはずなのに自転車のパワーも上がった。

 

土台って大事なんだな、と実感した。

ちゃんと地に足が着き、足元が安定していないとその上が定まらないからきちんと仕事ができない。

心も身体も同じで、地に足を着けることの意味、重要性を再確認した出来事だった。

 

そしてここ数日。心がフラフラ浮遊している。どことなく胸がざわざわして落ち着かない。

自分の重心を見失っている。

力がうまく入らない感覚は、心も身体も同じだ。

 

心もまず土台から。

心と身体はどこかでリンクしていて、心を整えれば身体も整ってくるし、逆もしかり。

 

胸がざわざわして心が不安定な今日は、まず身体を土台から整えよう。

そう思いながら、時間をかけて身体のコンディショニングをする今朝だった。

中年として、その車を選ぶ理由

ふと、中年としてどんな車に乗るかについて、意識ががらりと変わった瞬間があって

 

輸入車に憧れて、実際に乗っていた時期もあった

真っ赤なアルファロメオのスポーツワゴン

盾形のグリルや美しいデザイン、内装も、重厚感のある走りや音も大好きだった

人生で一番きらきらしていた時期だったかもしれない

別れる時は恋人と別れるような喪失感で、自分にとってのひとつの時代が終わったんだなと思った

だから輸入車に乗る恍惚感や憧れは否定しないし、それこそよくよく理解できる

 

でも、今、中年に差し掛かり、選べる車の選択肢も増えた上で思うのは

品質の高い国産車に、こだわりを持って乗ることがとてつもなくカッコいいのではないかということ……

輸入車に憧れてイキって乗るのは若い頃で卒業して、1周回って敢えて好きな国産車を選ぶのってとても素敵に思えてきた

 

お金持ちの人は税金対策とかあるのかもしれないけど

 

輸入車、選べるけど、選ばない

中年としての車の選び方に、その人柄や生き方の哲学みたいなものを感じるような気がして

 

どういう理由で、どんな考え方で、どうしてその車を選ぶのか

その人の本質の一部分が実はとても浮かび上がってくる選択なのではないか

 

好きな人ができると(恋愛感情だけでなく)、その人がどんな風に育ってきたのか、生きてきたのかを知りたくなるけど、どんな車にどんな理由で乗っているのかも知りたくなってきたこの頃だな

毎日、普通に帰ってきてくれたら

いつだってふと不安になる

夫はいつも通り、元気に帰ってくるだろうか

以前からふと不安に思うことはあったけど

あの事故から、そう思うことが増えて

 

ただ、普通に、電車で会社に行っている

それだけなのに、本当に今夜もただいまって帰ってきてくれるのかって

少し遅いと不安の黒いシミが広がっていく

 

ただ平凡な毎日でいい

いってらっしゃいって朝送り出したら

ただいまって普通に帰ってきてくれるだけでいい

すごく出世したりしなくていい

生きていくのは大変なことだから

少し辛いことがあるのは仕方ないけど

ただ、毎日、静かに平凡に穏やかに暮らせる日々だけでいい

ごくごく平凡にふたりで年をとって

旅行三昧とか贅沢三昧なんてなくていいから

小さな幸せを大切にするから

 

だからただ毎日、普通に帰ってきてほしい

 

年を重ねて、迷惑かけないように

今からできるだけのことは気をつけて

できれば夫に近い時期に最期を迎えられたらいい

彼の人生が辛いものでなければ、それだけでいい

彼が穏やかに幸せに暮らせるなら

それ以外に欲しいものなんて何もない

安らかに眠って

苦しい

若くて、キラキラしてて、笑顔が眩しく、才能に溢れ、努力することができる人で、何もかもが順風満帆に思えた人が、自死を選ばなければならなかった絶望が

 

人の内面に抱える地獄など、誰にも想像ができなくて

どんな人にも、その人その人の地獄があって

あんなにもたくさんの人に愛され、求められ、全てを持っているような人でも

どうすることもできない地獄を抱えていて

 

あんな綺麗な顔で笑う人が

自死を選ぶこの世の中とは何なのだろう

直接知りはしないけれど

あの溢れる清らかさは

作られたイメージだけではなかったはず

 

何が彼をそこまで追い詰めたのか

 

悲しすぎて、苦しすぎて、

でも、それでも

今彼が、もし安らかならば

ただそれを祈るばかり

その苦しみから逃れることができて

安らかに休めたのならば

これまでよく頑張ったねと

安らかに どうか安らかに

眠ってほしい

彼の魂が救われるのであってほしい

 

言葉は手渡すような気持ちで

意識して息を吸わないと、呼吸が苦しくなる

というか、意識して吸っても苦しくなる

 

攻撃的な相手に対して

どう返したらいいのか

とりあえず、当たり障りのない返答のみ返す

相手はこれでもかというナイフのように尖った言葉を投げてくる

 

プライドかしらね

それとも何か他にイライラすることや傷つくことがあって

あんな風に尖った言葉でしか返せなくなるんだろうか

彼女の環境が彼女をそうさせてしまうのだろうか

 

人の振り見て我が振り直せ

気をつけよう

 

どんな相手でも

それがもう二度と話すことのない店員さんや通りすがりの人でも

敬意を持って、謙虚な気持ちで

 

しんどい時だからこそ

 

誰かに投げる言葉って

本当に相手にその感情が伝わりますね

ぶつけたり、投げたり、邪魔に思われて流されたり

気をつけよう

言葉は、手渡すような気持ちで発しよう

傲慢だったな、きっと、これまでの私

何もできない私が今日すべきこと

夫を送り出すのが辛い月曜の朝だった

代わってあげられない、私が彼の立場なら死にたかったろうと思う

無責任に励ます言葉も言いたくない

土曜の朝からすでにサザエさん症候群のような気持ちで過ごした週末だった

時折忘れたように平気な顔で話したり笑ったりする姿さえ、無理しているのではないかと思えてその笑顔に胸がえぐられる思いがした

 

いますぐにでも、私に夫を助けてあげられる力があったなら

そんな会社、辞めていいよって言ってあげられたら

でも、今の私にはとてもそんな力はなくて

 

夫がどれだけ辛いだろうと思うと、夫を送り出した後に泣く

でも、では、今日、私に何ができるか 何をすべきか

一緒に辛くなっていたら、いつか一緒に倒れてしまう

私は当事者ではないのだから、そこは自分の中で線をしっかり引かなければ

私には、私のすべきことがあるはずだから

 

だからまず、今日はとりあえず勉強します